「選ばれる人は少ない」
更新日:2018.3.5
マタイによる福音書22章1-14節(新約P42)
牧師 米倉 美佐男
「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」(14節)
レントの時、静かに悔い改めの心で過ごしましょう。三つ目のたとえ「婚宴のたとえ」です。天の国は、王(神)が王子(イエス様)のために婚宴を催したのに似て
います。家来たちは王に命じられて招いた人々(ユダヤ人)を迎えに行きます。ところが彼らは来ようとしません。別の家来が送られます。今度も人々は無視します。畑に、商売に、自分の日常を優先しました。他の人々は王の家来を捕まえ、乱暴し、殺してしまいます。前のたとえと同じです。王は怒り、軍隊を送って狼藉を働いた人々を滅ぼし、町を焼き払ってしまいます。
続きがあります。先に招いた人たちはふさわしくない人でした。だから、大通りに出て、見かけた人をだれでも、善人でも悪人でも連れてきなさい、と王は命じます。命令通りに人々が連れて来られました。婚宴の席は客でいっぱいになりました。客を見に王が入って来ます。そこに礼服を着ていない者が一人いました。王は「友よ、どうして礼服を着ないでここに入ってきたのか」と聞くと、この者は黙って答えません。王は側近に「この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。」と命じます。たとえは次の言葉で結びます「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」と。
厳しい結論です。招かれてはいるが選ばれなかった。他人ごとではありません。このたとえは天の国のたとえです。それは教会を示しています。教会にも多くの者が招かれますが選ばれる人は少ない。すでに毒麦のたとえで語られていたことと同じです。礼服とは信仰のことです。具体的に言うならキリスト告白です。招かれたのに意図的信仰を拒む、告白せず沈黙したのでは選びからもれてしまうのです。教会に招かれていてもキリストを告白することを拒み続けるならば選びからもれてしまう。他人事ではない。そして婚宴は一度限りのチャンスであることも忘れてはなりません。
(2018年2月25日主日礼拝説教より)