札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「ぶどう園と農夫のたとえ」

更新日:2018.2.19

マタイによる福音書21章33-46節(新約P42)

牧師 米倉 美佐男

「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。」(42節)

主イエスはもう一つのたとえを聞きなさいと言って話し始められました。ある家の主人がぶどう園を作り、良い実がなるに十分な環境を作り、これを農夫たちに貸して彼らを信用して旅に出た。収穫の時が近づいたので収穫物を受け取るために僕たちを遣わしまうが、農夫たちは僕たちを袋だたきにし、殺してしまいます。再度送った僕たちもひどい目に遭わされ、主人は最後に最愛の息子を送ります。

農夫たちは送られてきた息子を見てこう言いました。これは跡取りだ、殺して相続財産を全部自分たちのものにしようと言って、息子をぶどう園の外に放り出し殺してしまいました。イエスはここで問われます。ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか、と。問われた祭司長たちは言います。その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない、と。

たとえに出てくる主人は神様、ぶどう園は神の国、殺された僕たちは旧約の預言者、農夫たちは祭司長たちユダヤ人、息子はイエス様ご自身です。ここに示されるのは主人の愛を受け入れない農夫たちの罪と欲、それに対する主人の忍耐、深い愛です。指摘されるのはあくなき貪欲、恵の私物化、悔い改めのなさ、申し開きのできない人間の罪です。み国にふさわしい実を結ぶのはキリストの教会です。教会は神のみ旨だけを求めるのです。そこに人間的思惟を持ち込んではなりません。み国にふさわしい実を結ぶ民として主イエス・キリストを信じて歩むのです。教会は使徒や預言者という土台の上に建てられ、隅の親石(かなめ石)はキリスト・イエスです。主によって建物全体は組み合わされて成長し、聖なる神殿となるのです。

(2018年2月11日主日礼拝説教より)

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