「信じて祈れ」
更新日:2018.2.5
マタイによる福音書21章17-22節(新約P40)
牧師 米倉 美佐男
「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」(22節)
宮きよめの後、主イエスはエルサレムからベタニヤへ行き泊まり、翌日朝早くエルサレムに戻られました。その帰る道すがら一つの出来事がありました。イエスは空腹を覚えられました。朝食を取る暇もなかったのでしょう。道端にいちじくの木があるのを見て近寄られます。木には葉のほかは何もありませんでした。そこで、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われました。すると、いちじくの木はたちまち枯れてしまったのです。それを見ていた弟子たちは驚いて、「なぜたちまち枯れてしまったのですか」と言いました。
葉だけで実がなかったのは実のなる季節ではなかったからでしょう。マルコでははっきりとそう書かれています。季節でもないのに「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われてもね。宮きよめと同様主イエスのこの時の行動には意外な印象を受けます。このお言葉は厳しい呪いの言葉です。木にまるで八つ当たりをしているかのように聞こえてしまいます。
弟子たちの問いに対する主イエスのお答えですが、「はっきり言っておく、あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる。信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」(21-22節)信仰を持ち、疑わないで、信じて祈るです。「信じて祈りなさい」。誰に、何を。信仰の一番大切なことです。中心はイエス・キリストを信じて祈るのです。たとえ不可能に思えても、信じて祈れば必ずキリストが必要なことを満たしてくださるのです。気づかなければならないのは主イエスを信じて従っているかということが問われているのです。信じて祈れ
(2018年1月28日主日礼拝説教より)