「平和の神は共におられます」
更新日:2017.11.27
フィリピの信徒への手紙4章1-9節(新約P365)
牧師 小林 克哉
フィリピ教会の人々はパウロ牧師の投獄の知らせ、教会内で誤った教えを主張する人の出現、教会内でのエボディアとシンティケの争いなどで悩んでいました。それを知ったパウロは「どんなことも、思い煩うのはやめなさい」と言ったのです。「思い煩う」は心が分裂するというニュアンスの言葉。道が一つに定まっている時はいいのです。あっちがいいのかこっちがいいのか、どうしたらよいのか迷うとき、心は分裂し、人は思い煩い、平和を失うのです。
「自分がどうしたらよいか」「あの人がああだから」「どうしてこんなことに」と思っている時、わたしたちが忘れてしまっていることがあります。それは主なる神さまが生きて働いておられることです。「どんなことでも」とパウロが言うのは、どんなことの中にも実は神の御手が伸ばされており、神さまが生きて働いていておられるからです。エボディアとシンティケの争いの只中にあるフィリピの教会にもです。だからパウロは「平和の神はあなたがたと共にいる」とはっきりと告げたのです。
パウロは「わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。」と言います。フィリピ教会の人々がまず思い起こすパウロの姿は、最初にフィリピの町で伝道した時の姿でしょう。言いがかりをつけられ投獄された牢の中で、パウロはシラスと共に神に賛美の歌を歌っていました。いつもの通りにしていたのです。そして、その夜看守一家が救われたのでした。パウロは問題の渦中にあっても主が共におられることを見失いませんでした。いつものように当たり前のことを当たり前にし続けるのです。思い煩わすに、神におゆだねするとは何にもしないことではありません。自分の知恵や力で無理矢理に突破するのでなく、生きて働いておられる神を信じて当たり前のことを当たり前にし続けるのです。「あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」
(2017年11月19日主日礼拝説教より)