「神は何でもできる」
更新日:2017.10.30
マタイによる福音書19章16-30節(新約P37)
牧師 米倉 美佐男
「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」(16節)
一人の男が主イエスに問いました。この男はたくさんの財産を持っている青年でした。イエスは「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」(17節)と答えられます。青年は「どの掟ですか」(18節)と聞きました。
イエスの答えは「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。」(18-19節)。十戒とその結論の律法でした。青年は言います。「そういうことはみな守ってきました。まだ何かかけているでしょうか。」(20節)と。イエスは「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(21節)と言われます。この青年は悲しみながら立ち去りました。たくさんの財産を持っていたからでした。
イエスは言われます。「金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(23・24節)。弟子たちはこれを聞いて動揺し、それなら一体全体だれが救われるのか、救われるものなど誰もいないと言い出します。「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」(26節)が主のお答えです。これを聞いてペトロは「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちに何をいただけるのでしょうか。」(27節)主に既に従う弟子たちでさえ、何も分かっていません。求めに対する主の答えは「わたしに従いなさい。」です。足りなかったのは主にのみ従う事でした。救いを与えて下さる力は神にのみあるのです。神は何でもできる。
(2017年10月22日主日礼拝説教より)