「できないことは何もない」
更新日:2017.8.21
マタイによる福音書17章14-20節(新約P33)
米倉 美佐男 牧師
「あなたがたにできないことは何もない。」(20節)
信仰とは何か?信仰の問題を一緒に考えてみましょう。山上の変貌の出来事に続いて、山を下りたイエスと弟子たち三人が群衆のところに行った時のことです。てんかんで苦しんでいる息子の父親がイエスに近寄り、ひざまつき願いました。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。」と、イエスは答えて言われます。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。」そして、その子を連れてきなさいと言われ、イエスがお叱りになると悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされました。
イエスたちが山に行っておられる間にこの父親は、残っていた弟子たちに息子の病を助けてと願い出たのですが、何の効果も得られず、今か今かとイエスの帰りを待っていたのです。結果としては癒されたというめでたしの話ですが、どうもここでの話の重点は病の癒しより別なことにありました。それは「何故、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言う弟子たちの問いにあります。
主は「信仰が薄いからだ」と一刀両断に言っておられます。さらに、からし種一粒ほどの信仰があればとも言われました。イエスのお言葉は弟子たちに対する現状への鋭い指摘と、失望と期待があったのです。弟子たちへは先ず、信仰がうすい、と言われ、次にからし種一粒ほどの信仰があればと、最後は「あなたがたにはできないことは何もない」と言われました。それは、私を信じなさい、私を信じる信仰があれば大丈夫だと言う、最大の励ましを主は弟子たちにお与えになられたのです。信仰のないよこしまな時代は昔も今もあるのです。弟子たち、そして教会が力を発揮できたのは主を信じ、主の力に頼るからです。主を信じて歩むなら「山を移す」ほどの信仰が可能なのです。主を信じるならば何でもできる、神にはすべてが可能なのです。
(2017年8月13日主日礼拝説教より)