札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「まだ、わからないのか」

更新日:2017.7.24

マタイによる福音書16章1-12節(新P31)

米倉 美佐男 牧師

「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい。」(6節)

ファリサイ派とサドカイ派が結託してイエスをためそうとしてきました。彼らは天からのしるしを見せて欲しいと言う要求をします。本来なら一緒に手を組むはずのない彼らです。打倒イエスという目的のために共闘したのです。天からのしるしを求めるのは天気予報をしろと迫ったわけではありません。メシヤとしての証拠を見せろ、奇跡を起こしてみろといういいがかりです。イエスはそれを見抜かれ、空模様は分かっても、時代のしるしを見ることが出来ないのは何故か?と問われます。

このような形でしるしを求めること自体神に背いた時代の姿です。イエスは不信仰な時代だと一蹴されたのです。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」(4節)。神の恵みの大いなることと神の憐れみを知りなさいと言われたのです。イエスは彼らを残して去られます。その場を去り、弟子たちは向こう岸に渡りました。彼らはパンを持ってくるのを忘れていました。イエスは「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい。」と弟子たちに言われました。

弟子たちは「パンを持って来なかったからだ。」と論じ合います。イエスは弟子たちに、「信仰の薄い者たちよ、なぜ、パンを持っていないことで論じ合っているのか。まだわからないのか。覚えていないのか。」と言われます。イエスはパンについて言われたのでなく、ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種、即ち彼らの教えに注意しなさいと言われたのです。弟子たちは漸くそのことを悟りました。大きな勘違いをし、イエスの言葉の真意をくみ取ることができませんでした。上辺で判断していたからです。心の鈍さが御旨を正しく聞く耳を塞いでしまっていたのです。

(2017年7月16日主日礼拝説教より)

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