「パンは幾つあるか」
更新日:2017.7.10
マタイによる福音書15章29-39節(新P30)
米倉 美佐男 牧師
「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」(32節)
主イエス・キリストの大いなる力が働き、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他もろもろの病で苦しむ人たちが癒されました。それを目撃した群衆は驚き、そしてイスラエルの神を讃美しました。イスラエルの神と言う表現はここが異邦人の地であることを表しています。
三日の時が経過し、主イエスは弟子に命じて言われます。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。」。五千人の供食記事とほぼ同じ内容の出来事です。今度は四千人です。異邦人の地で異邦人相手になされた奇跡記事です。弟子たちの反応は「この人里離れた所でこれほど大勢の人に十分食べさせるほどのパンが、どこから手に入るでしょうか。」(33節)です。何か前回の教訓が生きていない感じを受けます。弟子たちは何を見ていたのでしょう。
弟子たちは目先のこと自分しか考えていないようです。イエス様は違います。「パンは幾つあるか」と聞かれます。弟子たちの応答、「七つあります。それに、小さい魚が少しばかり」、イエスは群衆を座らせ、七つのパンと魚を取り、感謝の祈りを唱え、これを裂き、弟子たちに渡し配らせます。「人々は皆、食べて満腹した。」(27節)、残ったパンの屑を集めると、七つの籠いっぱいになった。この記事が示す大事なことはイエスの大いなる力、大きな恵みは、ユダヤ人だけでなく、主自らが必要とされる者に与えられるという事実です。パンはどのくらい足らないかではなく、「パンは幾つあるか」です。今あるもので、必要を満たすことが主にはできるのです。大いなる主の恵みに感謝いたしましょう。
(2017年7月2日主日礼拝説教より)