「カナンの女の信仰」
更新日:2017.7.3
マタイによる福音書15章21‐28節(新約聖書P30)
米倉 美佐男 牧師
「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています。」(22節)
キリスト教の信仰は主イエスをキリストと信じるならば人種、国籍を問いません。今朝の聖書の記事はカナンの女性が出てきます。マルコによる福音書ではシリア・フェニキア生まれのギリシャ人、異邦人です。このやり取りから主イエスの伝道はユダヤ人が対象だったようです。主はファリサイや律法学者たちとの衝突を避け、ティルス、シドンの地方に移動されたのです。
そこでカナンの女性が主イエスの評判を聞いて、娘の病を癒してくれるように願い出たのです。「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています。」(22節)。母親として我が子の病は身を削られるほど辛かったのでしょう。藁にでも縋る思いでまかり出たのです。この女性の求めに主イエスは何もお答えにならず、弟子たちも女を追い払うようにと進言しています。さらに主は言われます。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない。」(24節)。
主イエスでさえも伝道の対象はユダヤ人だけと言われます。ただ着目していただきたい。このカナンの女性の態度に。彼女はひれ伏して、「主よ、どうかお助けください。」と。なかなか言えません。あなたたちとは関係ないと言われ、それに続けて「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない。」とまで言われます。それなのに彼女は言うのです。「主よ、ごもっともです。いかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」この記事の示す最も大事なことはここに尽きます。あなたの恵みは大きく余りあるから、その余りで結構ですからお与え下さいと言ったのです。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気は癒された。これが信仰のダイナミズムです。救いは信じる者にあるのです。
(2017年6月25日主日礼拝説教より)