札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「天の国の譬」

更新日:2017.5.15

マタイによる福音書13章44-52節(新約P26)

米倉 美佐男 牧師

13章は天国の譬のシリーズです。今朝の聖書箇所には天の国のたとえが三つの内容で語られています。第一は畑に宝が隠されている。見つけた人はそのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり払って、その畑を買う。二つ目は、商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。三つ目は網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。

一番目、二番目のたとえは天の国は全財産をはたいてもおしみない価値ある貴重なお宝だから絶対手に入れよ。三番目は毒麦のたとえと同じように終末の裁きを彷彿とさせ、あなたがたは間違っても歯ぎしりして後悔しないように、今から心して備えなさいと言います。共通しているのは隠されている点です。埋められていたり、探し見つけるものであったり、水の中の見えないものでした。全財産をはたいて手に入れるのは本当の救いを得るためです。いやいやではなく喜びと感謝をもってするのです。かけがえのない宝です。なくてならぬものは多くはない。いや一つだけです。

最後の譬の「網」は譬えて言うなら世の終わりまで教会が張り巡らす伝道のわざです。自称クリスチャンと言い張っても終わりの日には外に捨てられてしまうかもしれません。そうならないように終わりの日に備えて歩みましょう。結論は「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている.」(52節).弟子たちは天の国の学者です。彼ら天の国の奥義が授けられたのです。人々に十字架と復活の救いを語り伝える者として召されたのです。見つけた宝を一人占めにするのでなく、新しいもの古いものを必要に応じ、相手に応じて取り出し、与えるのです。

(2017年5月7日主日礼拝説教より)

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