「わたしに会うことになる」
更新日:2017.4.24
マタイによる福音書 28章1‐10節(新P59)
牧師 米倉 美佐男
「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」(6節)
主イエス・キリストの御復活を心からお祝いいたします。
聖書を読んでいて、印象的に思うことは主が生きておられた時、主は弟子たちに何度も十字架と復活のことをお語りになられました。それなのにそれを聞いていた弟子たちは誰一人復活を信じることをしませんでした。
その弟子たちの姿勢態度に対してイエスの周囲にいた女性たちはそうではありません。どの場面でも母マリアを始めとして、マグダラのマリア、ゼベダイの子たちの母らがいました。復活の墓も一番目の目撃者はマグダラのマリアでした。「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラの「マリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。」(1節)。大きな地震が起こり、墓の石はわきへ転がりその上に主の天使が天から下って座っていました。天使が告げます。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」(5-6節)。
復活の出来事は大きな神の御業です。主イエスご自身が預言されていたことです。ご遺体は墓にはないのです。墓は空です。天使は言います。弟子たちに主イエスは復活された。ガリラヤに行って主にお目にかかりなさいと。婦人たちはその知らせを弟子たちに告げるべく走っていくと、復活のイエスに出会います。そして主は「おはよう」と挨拶され、「行って、私の兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこで私に会うことになる。」(10節)主にお会いできる大きな喜びがここにはありました。復活の恵みに与ることができるのは主に出会った者に与えられる特権です。復活の主を信じる者は誰でもみな新しい神の民、新しいイスラエル、新しい選民として主イエスに出会うのです。
(2017年4月16日主日礼拝説教より)