「許されない冒瀆」
更新日:2017.4.7
マタイによる福音書12章22-37節(新P22)
牧師 米倉 美佐男
レントの第4主日です。心してイ―スターを迎える備えを致しましょう。
主イエスの力に対し、いやイエスの存在そのものを疎ましく思った人たちは様々な理由をつけてイエスを抹殺しようとします。イエスに敵対する人々と、ガリラヤ地方でイエスは決定的な対立に入りました。対立する人々に対して主イエスは、時期到来と言わんばかりにこの事について、終わりを見据えて、今、何をなすべきかを示されました。
悪霊に取り付かれて目が見えず口の利けない人がイエスの所に連れて来られ、癒され、ものが言え、見えるようになりました。病が癒され回復するのは本来大変喜ばしいことです。癒された者やそのことを好意的に受け止めることのできる者にとっては。目撃した群衆は驚き、イエスの事を「ダビデの子」ではないかと言います。そのことが気に食わない者たちがいます。ファリサイです。彼らは群衆の反応を打ち消すように、イエスのなした癒しの行為を「悪霊の頭ベルゼブルの力」イエスを悪霊の親玉だと言います
イエスはファリサイの考えを見抜かれ、あなたがたの言っていることは難癖、いいがかりだと言います。サタンがサタンを追い出せば内輪もめだ。私は悪霊でなく神の霊で悪霊を追い出したのだ。既に神の国はあなたがたのところに来ている。「人の子に言い逆らう者は赦される、しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」(32節)。問題は悔い改めです。イエスを信じなくてもそれはまだ悔い改めの機会があるので救いようはある。けれども聖霊を否定する者はいつの世でも赦されることが無い。なぜならそれは悔い改めの余地がないからです。だから語る言葉、行いについて自らに問うべきことを主はお命じになられるのです。許されない冒瀆に陥らないために、聖霊が示すイエスをキリスト、唯一の救い主と信じる者として生かされましょう。
(2017年3月26主日礼拝説教より)