札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「来るべき方はあなたですか」

更新日:2017.3.6

マタイによる福音書11章2-19節(新P19)

牧師 米倉 美佐男

「来るべき方はあなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」(3節)。バプテスマのヨハネが弟子を使わして主イエスに尋ねた問いです。この時ヨハネはヘロデ・アンティパスと兄弟の妻ヘロディアの道ならぬ結婚を批判し、ヘロディアの不評を買い、牢屋に捕らえられておりました。牢の中で主イエスのうわさを聞いて、弟子たちを送って尋ねさせたのです。「来るべき方」とはメシアを表わす言葉です。つまりあなたはメシアかと。
これに対し、主イエスは「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。・・・わたしにつまずかない人は幸いである」(4-6節)。イエスはヨハネの意図を受けてお答えになります。それは、わたしに安心してまかせなさい。わたしにつまずかない、十字架を疑わないで、受け入れ、信じることのできる者は幸いだと言われます。この応答を見ると、先のヨハネの問は、来るべき方はあなたですか?という疑問文でなく、あなた様がメシアです、あなた以外にはおられない、来るべき方はあなただけです。と言う応援メッセージです。

そうであるから、後半の箇所にはイエスのヨハネに対する思いが熱く語られているのがうなずけます。ヨハネの弟子たちをヨハネのもとに帰した後、イエスは群衆に向かい、ヨハネについて話し始められます。あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か、しなやかな服を着た人か、そうではないはずだ。あなたがたが求めて見に来たのは預言者だ。いや預言者以上の存在ではないか。それがヨハネだ。女から生まれた人で洗礼者ヨハネ以上の者はいない。エリヤの再来とさえ言われています。メシアならこうして欲しいああして欲しいと自分の思いで作り上げたイメージで要求するのでなく、ヨハネのように獄中にいながら真のメシアを信じ期待する信仰が真の救いを得ることを主イエスはお認めになられたのです。

(2017年2月26日主日礼拝説教より)

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