札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「すべての人を照らすまことの光」

更新日:2016.12.5

ヨハネによる福音書1章6-18節(新P163)

牧師 米倉 美佐男

「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。」(6節)

本日からアドベント(待降節)に入りました。到来を意味するラテン語です。メシアの到来を準備し、祈って待つのです。先週は断食についての箇所でした。クリスマス前のこの時期も断食の時です。西方の教会では多くの教会がこの時から1年を始めます。「初めに言があった」と語り出されています。「言」と訳されたのは「ロゴス」と言うギリシャ語です。神の知恵、理性という意味です。主イエス・キリストがロゴスであるとの宣言です。

イエスは言、そして「光」です。言と光の前に一人の人が神から遣わされました。その人はバプテスマのヨハネです。ヨハネはイエスとは親戚で半年早く生まれています。彼の家系は祭司でしたけれどヨハネは荒野で悔い改めを説く最後の預言者でした。今日の聖書の記事の言わんとするところは私たちが求めて発見するのでなく、み使いが教えてくれることによって知ることのできる真理があるとの証しです。ヨハネはあくまでも光について証しをするために生まれました。彼はメシアではなく、メシアを証しする預言者でした。

 
すべての人が信じるために、すべての人を照らすまことの光、イエス・キリストを伝えたのです。まことの光はイエス・キリストです。世も自分の民も、メシアが来られたのに、主を認めず拒否したのです。私たちは信仰者として、来られたメシアを迎え入れずシャットアウトしてはなりません。信じればよい、受け入れればよいのです。信じる者とされていることを受け入れるならばただそれだけでいいのです。主の招きを素直に受け入れることが一番大事です。神の子となるとは、神に属する者であることを潔しとし、感謝できる者と変えられることです。その名を信じる者として、主のみ名によってアーメンと言える者とされましょう。

(2016年11月27日主日礼拝説教より)

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