「人を裁くな」
更新日:2016.7.11
マタイによる福音書7章1-6節(新P11)
牧師:米倉 美佐男
信仰者の生活もこの世においては様々な出来事があります。「人を裁くな。」この言葉が何度も出てきます。「兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。・・・隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。」(ヤコブの手紙4章11,12節)。
裁きを戒められる理由の第一は「自分がさばかれないようにするため」です。それはただの処世術ではありません。神から裁かれないための信仰的な生活としてこのようにあれと命じておられるのです。第二は「自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」(2節)からです。
主イエスが指摘されるのは、兄弟を裁くより己の過ちを正せということです。「偽善者よ」(5節)との厳しいお言葉を私たちは自らに向けられた言葉として聞かねばなりません。どんなに信仰深く装っても、相手を思わず、自分のことしか考えないのは主に従う者としてふさわしくないのです。それに気付いて「はっきりと見える」ようになることが大事なのです。自分の目から丸太を取り除くことです。もしあるならでなく、みんなに丸太があるのです。気づかない鈍感さが罪の問題です。人の欠点、誤りを指摘し批判する前に自らを主の前にさらけ出さなくてはならないのです。「裁くな」という戒めは信仰的に聞く時に、他者も生か
し自分も生かす戒めです。主の十字架こそがそのことを示しています。赦されたからこそ赦すことのできる者へと私たちは変えられるのです。
(2016年7月3日主日礼拝説教より)