「完全な者となれ」
更新日:2016.5.23
マタイによる福音書5章43-48節(新P8)
牧師 米倉 美佐男
「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(48節)
今朝はペンテコステ礼拝です。使徒言行録2章に記されている聖霊降臨日の出来事が教会の誕生日です。主の復活から五十日目、エルサレムに集まっていたペトロを筆頭とする弟子たちと主イエスを信じる120人ほどの人々が熱心に礼拝を献げていた時に聖霊が降り、一同が満たされた出来事を教会の始まりとして代々の教会は記念して覚えてきました。聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と告白することはできません。イエスを救い主と信じることのできる者は聖霊の導きを受けているのです。
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」今朝の聖書の箇所はマタイ5章の43節以下をお読みしました。ここには、クリスチャンの義の生活の第5番目の例が記されています。「隣人を愛し、敵を憎め」。隣人を愛し、はレビ記19章18節の有名な箇所です。敵を憎め、は聖書の中にはありませんけれども、隣人を愛しを強めるためにこのように福音書記者は言ったのです。
敵を愛し、祈りなさいという主イエスの教えは同胞、異邦人区別なく積極的に愛と祈りをもって接しなさいということです。愛するとは何か。何でも好きになれとか、何でも受け入れなさいということではありません。愛するとは、相手が願うことを無前提に受け入れることではありません。不義であれば不義を憎み、不潔であれば下着までも忌み嫌わねばなりません。完全とは何か。主が言われた完全とはこれから示される、主の十字架の出来事に示されます。十字架の主のお姿に全き完全さがあるのです。神のみ旨を自らの生き様として受け止められ、あざけられても辱められても父なる神に全幅の信頼をおいたお姿、まことの礼拝者であるその姿なのです。
(2016年5月15日ペンテコステ礼拝説教より)