札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「日毎の糧」

更新日:2015.11.2

マタイによる福音書 4章 4節  (P新4)

牧師:米倉 美佐男

「イエスはお答えになった。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と書いてある。」
                                                        (4節)

第五0聖日 問125
問125 第四の求めは、何ですか。
 われらの日用の糧を今日も与えたまえ、です。われわれの肉に必要なものを与え、唯一の救いの源である神の祝福がなければ、われわれの、心づかいもわざも、あなたの賜物も、われわれに役に立つことがないのです。われわれが、ただ、あなたにのみ、信頼をおくものとならせて下さい、ということです。

主の祈りの第四の祈りは「日用の糧を今日も与えたまえ」です。この祈りは命の問題、生の問題です。ここで日用の糧を与えたまえと祈るのは、日々頂く食べ物そしてすべてのものが神からの恵みなのだということです。あるのが当然ではなく、神から与えられた恵みとして感謝の心を忘れてはならないとの祈りです。

つまり、今までの祈りは神の側の祈りで、四番目からの祈りは人間の側の祈りとして祈られた祈りですが、そこにも当然、神の与えし恵みの事実があることを覚える祈りです。日毎の食事がすべて肉に必要なもの、少し広げて言うなら衣食住すべてにかかわるのです。そういったすべてに、心づかい、心配があり、さらにわざ、働いて稼ぐこと、それすらも役に立たなくなることがある。おまけに神から与えられた賜物すら祈りがなければ、一切はむなしいのです。それがこの祈りの意味です。神の祝福が確かにあることだけを信じて、ただ神にのみ信頼をおくのです。物質的肉の豊かさだけでなく、神の祝福は例え賜物が貧しい時にさえもなおそこで神の祝福を確信することができるのです。パンだけでなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生かされるのです。主は悪魔の誘惑に打ち勝つために観念でなく御言葉を肉化して示してくださったのです。

(2015年10月25日礼拝説教より)

前のページに戻る