札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「み国を来たらせ給え」

更新日:2015.10.13

マタイによる福音書6章33節

牧師:米倉 美佐男

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものは、みな加えて与えられる。」(33節)
第四八聖日 問123
問123 第二の求めは、何ですか。
 み国をきたらせたまえ、です。

主イエスが伝道の開始の時最初に宣べられたのは「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」でした。最後の晩餐の時も神の国で過越しが成就する時まで二度とこの過越しの食事をすことはないと言われました。復活の後にも弟子たちに現れ、神の国について語られています。そして主の祈りの中で、み名をあがめさせ給えに続いて、み国を来たらせたまえと祈るのは自然なことです。

「わたしの国はこの世のものではない。」(ヨハネ18・36)。主の語るみ国は神の御支配するところのことです。人間が支配するのではありません。御国を来たらせ給えと祈るのは、主イエスと共に神の御心を求め、その後神のご支配に我が身を委ねますと言う祈りです。神の御国は神の御支配する処ですから神が人間にお与えくださる物です。人間の力で作り出せるものではありません。あくまで神の支配のうちに生き、生かされるのです。

「神の国は、見える形では来ない。「ここにある」「あそこにある」と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカ17・20−21)それはすでにきている、そうです、主イエスが来られたことによってすでに実現しているのです。「だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(ヨハネ3・3)。御国は神の支配であります。同時に私たちを罪から救い、私たちが喜んで神に従う道、救いそのものなのです。「見よ、今は恵みの時、今は、救いの日」(2コリ6・2)なのです。み国は神がお与えくださるものです。

(2015年10月4日礼拝説教より)

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