「我らの父よ」
更新日:2015.9.14
ローマの信徒への手紙8章5節(新P284)
牧師:米倉 美佐男
第四六聖日 問119-121
問119 主の祈りは、どういう内容ですか。
問120 何故、キリストは、われわれに、神を、父と、よびかけるように、お命じになったのですか。
問121 天にいます、は、何故、付け加えたのですか。
本日は札幌教会の126周年創立記念礼拝です。今朝もハイデルベルクの問答を通してメッセージを聞きます。問119は主の祈りの全文です。問120の答えは主の祈りの初めは「天にまします我らの父よ」で神に対する子としての畏れと信頼です。神はキリストによって父となって下さった、私たちも神を父と呼ぶことが赦されたのです。問121は神の全能に対して肉と霊の一切の求めをするためだと言います。
主の祈りはあらゆる祈りの模範です。この祈りは私たちの身も心も、私たちの魂と身体にとって必要な一切のものをまとめています。主の祈りを祈る時、私たちはキリストと共に祈っているのです。最初の三つの祈りは神の栄光をそして他の祈りは私たちのための祈りです。もちろん後半もすべて神の栄光のためであります。
神を父と呼ぶのは主イエス・キリストの啓示によってです。キリストが神をアバ(お父ちゃん)と呼びます。本当は神をアバと呼べるのは主イエスだけです。主が神を父と呼んだそのように私たちも主によって神を父と呼ぶことができるのです。天にましますは、私たちが大胆に父なる神に近づくことが赦されているが、自分個人の利益のために手に入れることのできる神ではないことを明らかにしています。カルヴァンは「私たちが神を呼び求める時、私たちのもろもろの思いを高く上げることを学ぶためであり、神について何ら肉的、地上的な思いを持つことなく、また自分たちの好みによって神を測ることなく、自分たちの意志に神を従わせることもなく、神の栄ある尊厳を、謙遜に崇めるためである。」と言っています。
(2015年9月6日礼拝説教より)