札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「愛するものたちへ」

更新日:2015.7.27

フィリピの信徒への手紙4章1-7節(新P365)

桑 渚牧師

パウロは手紙の中でエボディアとシンティケという二人の婦人に「主において同じ思いを抱きなさい」と語りかけています。どのようなことがあって二人が同じ思いを抱けなくなってしまったか詳細は記されていませんが、同じ思いになれない問題が二人の中にありました。「二人は、…福音のためにわたしと共に戦ってくれた」そう語られているように福音宣教の働きにとても熱心な婦人たちであり、このことはパウロにとって見過ごしにできない問題でした。
熱心さのあまりにぶつかってしまう。このような現実は、現代の教会のなかでも起こり得ることだと思います。
パウロは、二人の婦人だけでなく「真実の協力者よ、…この二人の婦人を支えてあげてください」と協力を求めています。当事者同士では和解は難しいのです。本人はそのことのために祈ることもできません。ですから主イエスの祈りと周りの兄弟姉妹の執り成しの祈りが必要だというのです。二人のためにも命を捨てられた十字架の主を指し示しなさいと。悔い改め、立ち帰ることができるために。
今日の聖書箇所の冒頭に「わたしが愛し慕っている兄弟たち」と書かれていました。「わたしの喜びであり、冠である愛する人たち」パウロがフィリピの教会の人たちをどんなに思っていたかを感じます。「冠」は競争に勝った者に与えられる喜びのしるしを意味しています〝あなたはわたしの誇り″そのような大切な存在であることを意味しています。フィリピの教会はパウロの宣教によって生まれた教会であり、信仰における親子のような関係があります。ですから教会の喜びは他ならない喜び、教会の悲しみはパウロにとって痛みであり苦しみなのです。ただ自分にとってだけ愛する存在なのではなく、神が愛する存在なのですから。
「主にあってしっかりと立ちなさい」「主において一つ思いを抱きなさい」「主において常に喜びなさい」
私たちは何一つ自分ひとりだけの力では何かを成すことはできません。主の憐れみと助けによって生かされています。愛するものたちが主に結ばれて歩むこと、そのことをパウロは何よりも望んでいるのだと思います。

(2015年7月19日礼拝説教より)

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