「イエスの仲間」
更新日:2015.6.15
マタイによる福音書10章32節(新P18)
米倉 美佐男牧師
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。」 (32節)
第三七聖日 問101〜問102
問101 神のみ名によって、み心にかなうように、誓うこともできるのではないでしょうか。
答 できます。神の栄光と隣人の救いのために、真実と真理とを、保ち求める必要のある場合です。このような誓いは、神のことばに基づいているからです。
問102 聖人やその他の被造物によって、誓ってもよろしいでしょうか。
答 それはいけません。正しい誓いは、神を呼び奉ることだからです。いかなる被造物にも、そのような特権は与えられてはおりません。
今日の箇所は、十戒の第三戒に関連しての問と答えです。前回に続いて「誓い」が問題にされています。「誓い」はみだりに誓ってはならないが神のみ名によって誠実に誓うことも大切です。「誓い」は主の名によって誓うことが大事なのであって、それ以外のものに誓うのではないのです。誓うなら真実なる誓いでなければならないのです。そして神の栄光のため、隣人の救いのため、真実と真理とを、保ち求める必要の場合に。何より私たちが誓う誓いは神ご自身の誓いによって成立しているのです。「神は約束のものを受け継ぐ人々に、ご自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさった。」(ヘブライ人の手紙6章17節)。
そして「誓い」はどのような聖人でも誓いの対象になることはあり得ません。正しい誓いは私たちを正しく知る唯一のお方がどなたであるかを知ることなしには成り立たないのです。唯一のお方、主イエス・キリストの救いを信じて従う者は、神のみ言葉に聞き、神を呼び奉るのであり、主の仲間として、イエスの仲間であることをイエスご自身が言い表してくださるのです。
(2015年6月7日礼拝説教より)