「聖霊が注がれる」
更新日:2015.6.8
使徒言行録2章14-36節(新P215)
桑 渚牧師
14節からは聖霊降臨の出来事から続けて起こった、ペトロの最初の説教と言われる箇所です。それまでに起こった不思議な出来事を「あいつらは酒に酔っている」と捉えた人たちがいました。それを聞いた主の弟子、使徒とされたペトロが声を張り上げて大胆に語り始めます。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。今は朝の九時ですから、この人たちは酒に酔っているのではありません。」ペトロは旧約聖書の預言者ヨエルの言葉を引用し『終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ』(17)『主の名を呼び求める者は皆、救われる』(21)この旧約に示されたことがいま実現し、ナザレの人イエスこそ神から遣わされた救い主であることを伝えるのです。
「聖霊」という言葉は教会でしか使われません。馴染みのない言葉、わかりにくいものです。しかし、「聖霊」によって私たちは新しいものへと造り変えられます。祈りのことばを持ち、「イエスは主です。私たちの救い主です。」と告白し、洗礼を受けることができます。聖餐の恵みを心の底から味わうことができます。だれも「聖霊」を見たことはありません。しかし、私たちの教会が代々信じてきたもの、告白してきたこと、そして今も私たちのただ中にあるものです。神様が生きて働いていることを信じることができるのも「聖霊」の力によるのです。その「聖霊」の働きを阻むもの、力があります。罪によって私たちは神様の方から目を背けてしまう。目の前に御言葉があるのに、手で目を隠してしまうように、心に蓋をしてしまうことがあるかもしれません。神様の約束を信じられなくなることもあるかもしれません。しかし、神様は私たちに無くならない確かな約束をくださいました。主の十字架と復活によって「あなたを救う」という約束です。
この神を礼拝する民として、神が私たちを招かれたのです。主の思いを知り、主の思いを成すために、私たちは用いられていくのです。あの十字架の前でイエス様を「知らない」と言い切ったぺトロは聖霊によって変えられました。イエス様のもとから散っていった弟子たちも、主が集めてくださいました。私たちの中心にも主が共におられます。わたしたちを一つとするために。
(2015年5月31日礼拝説教より)