「拝みに来た」
更新日:2015.1.5
マタイによる福音書2章1-12節(新P2)
牧師:米倉 美佐男
「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。 お前から指導者が現れ、 わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」(6節)。
2014年の最後の主日礼拝を献げます。来週は2015年最初の礼拝です。共にクリスマスの喜びを祝い、新しい年に向けての歩みを整えて参りましょう。
「イエスはへロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生
まれになった。」(1節)。それを信じて占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来たのです。彼らはユダヤ人ではなく異邦人、外国の人でした。 彼らは星に導かれてメシアを求めて遠い所から旅して来たのです。ただメシアを
「拝む」ために。彼らが捜して来たのは「ユダヤ人の王」でした。これを聞いた当時の王ヘロデは不安を感じました。彼だけではありません。エルサレムの住民たちも。
聖書は語ります、主イエス・キリストを受け入れ者とそうでない者がいることを。それは昔も今も変わりありません。素直に信じる者と拒む者がいるのです。自分の得た地位、名誉、財産に固執してイエスを主と仰ぐことでそれらを失うことを恐れる、預言を信じない、神の言葉を聞こう
としない人々もいます。私たちがどのように盛んなクリスマスの礼拝をしても、あるいは巷のクリスマスを冷ややかに見ても、どんなに聖書の知識を持っていても、あの東の学者たちのようにメシアの現れたことを信じ求めて旅をする勇気、王を拝みに来たという信仰の姿勢が必要なのです。そして学者たちのように自分の持つ最上の宝を献げるのです。そこに導いた星の光のように、真のメシアに導かれる希望の光を見出すのです。
(2014年12月28日礼拝説教より)