「信仰による義」
更新日:2014.12.1
ガラテヤの信徒への手紙2章16節(新P344)
牧師:米倉 美佐男
「けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。」 (3節)
ハイデルベルク信仰問答 第二三聖日 問五九〜六一
問五九 それならば、このすべてを信じたら、あなたは、どんな益を受けるのですか。
答 わたしは、キリストにあって、神の前に、義となり、かつ、永遠の生命の世継(よつぎ)、となるのであります。
問六O あなたは、どのようにして、神の前に、義となるのですか。
答 ただ、イエス・キリストを信ずる、まことの信仰によるだけであります。かくして、わたしの良心が、わたしが、神のいましめに対して、甚だしく罪を犯し、そのいましめのどのひとつをも守ることがなく、いつまでも、あらゆる悪に向かう傾向がある、といって、わたしを責めたとしても、神は、わたしに、何も自分の功績がなくても、ただ、恵みによって、あたかも、わたしが、何の罪をも犯したこともなく持ったこともなく、キリストが、自ら、わたしのために果たして下さった、すべての完全なる服従を、完全に行なったものであるかのように、わたしが、これらの恵みを、信ずる心をもって、受けさえすれば、わたしに、完全な償いと義と聖とを、与え、わたしのものとして下さるのであります。
問六一 なぜ、あなたは、ただ、信仰によってのみ、義とせられる、というのですか。
答 それは、わたしが、自分の信仰のゆえに、神によろこばれるのではなく、ただ、キリストの償いと義と聖とが、神に対する、わたしの義となるのであって、わたしは、ただ、信仰によるのほか、これを受け、自分のものとすることはできないからであります。
今回の箇所で一番大事なことは「信仰の義」です。行いで救われるのでなく、信じることで救われるのです。
さらに言うならここでいう「信じる」は救いを一方的に受けることです。受けた事を信じ、受けたから信じるのです。
「あなたがたが私を選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハ15・16)。
(2014年11月23日礼拝説教より)