「わたしたちが義とされるために」
更新日:2014.10.6
ローマの信徒への手紙4章25節(新P279)
牧師:米倉 美佐男
「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」(25節)
ハイデルベルク信仰問答
第十六聖日 問四十〜四十四
問四十 何故に、キリストは、死の苦しみを、受けねばならなかったのですか。
答 それは、神の義と真理のゆえに、神のみ子の死による以外には、われわれの罪の償われる道はなかったからであります。
問四十一 何故に、主は葬られたのですか。
答 まことに死んでしまった、ということを、証するためであります。
問四十二 すでに、キリストが、われわれのために、死んで下さったのであれば、何故、われわれも死ななければならないのですか。
答 われわれの死は、われわれの罪の償いにはなりません。ただ、それは、罪に対する死であり、永遠の生命の入口であります。
問四十三 キリストの十字架の犠牲と死とから、さらに、どのような益が得られるのですか。
答 そのみ力によって、われわれの古き人は、主とともに、十字架につけられ、殺され、葬られて、もはや、肉の悪い欲は、もはやわれわれのうちに、
支配することなく、われわれは、自分自身を、感謝のしるしとして、主にささげるようになるのであります。
問四十四 何故、その次に、「陰府(よみ)にくだり」、と書いてあるのですか。
答 わたしが、自分の最もはげしい試みの中にも、わたしの主キリストが、十字架およびそれ以前に、その魂において、苦しまれた、いい難い、憂い、苦痛、恐れによって、
わたしを、地獄の不安と苦しみから、救って下さったことを、確信するためであります。
十字架の出来事は私たちの救いのために不可欠でした。神の義と真理のために。人間の不従順、罪を神は見過しにされず、元通りに関係を義しく回復して下さったのです。
それが十字架です。教会はそれに伝道の命を賭けてきたのです。
十字架と共に復活の出来事も。死は人として、よみがえりは神の姿です。神の御子でありながら主が十字架を負って下さったので私たちは救われ義とされたのです。
主は十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだられました。私たちにキリストに従って従順に歩む道を与えるために。
(2014年9月28日礼拝説教より)