「約束されたもの」
更新日:2014.3.10
ヘブライ人への手紙11章32-40節(新P416)
牧師:米倉 美佐男
「この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認めれながらも、約束されたものを手に入れませんでした。」 (11章39節)
これ以上何を話そう。と著者は語ります。今まで伝えてきた、信仰の先達の生き様をアベルから初めアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフそしてモーセと語ってきました。これ以上と言いながら続けてギデオン、バラク、サムソン,エフタ、ダビデ、サムエル、そして、預言者たちのことを語り、時間がいくらあっても足りないと言います。一人ひとりは名前だけで詳しい内容は触れていません。必要が無かったのです。彼らはみな信仰のお手本でした。
共通しているのは、信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れました。弱ったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させたのです。彼らはみな大いなる力を与えられ、信仰の知恵と力と勇気を持って数々の困難を乗り越えることができました。しかし実際は、権力に捕えられ拷問にかけられ、投獄され、石打の刑、のこぎりで引かれたり、剣で切り殺されたり、暮らしに事欠き、虐待され、荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよったのです。それが現実だと言うのです。
それが信仰者の歩む道であり、それを私たちは継承しているのです。信仰の先輩たちは約束された物を手に入れませんでした。それでも彼らは信仰に忠実に生かされました。神は私たちのためにさらにまさった計画を与えてくださいました。残酷な目に会いながら、先輩たちは約束されたメシアに会えずに死にました。私たちは困難な時代にありながら約束された主イエス・キリストに出会うことができます。あなた方はみな神が与えてくださった完全な救いの中にあるのです。信仰者は揺るぎません。神のまさった計画にあずかり既に確かな救いに入れられているからです。
(2014年3月2日礼拝説教より)