「与えられる報い」
更新日:2014.3.3
ヘブライ人への手紙11章23-31節(新P416)
牧師:米倉 美佐男
「キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです。」
(11章26節)
今朝の記事はモーセにスポットライトが当てられています。今までの記事は、創世記から、イスラエルの歴史を思い起こさせてきましたが、続けて出エジプト記からモーセを登場させます。ここに語られていることは、主なる神がモーセをイスラエルの指導者として選び、モーセは自らの務めを信仰によって成し遂げたと証ししています。
ここには一つの歴史解釈があります。信仰の歴史の解釈と言っても良いでしょう。神の救いの歴史の読み方がここにあります。聖書は人間の現実の歴史の中に神の導きの歴史があることを知らせます。エジプト王(ファラオ)は増殖したヘブライ人を恐れ、奴隷化し、彼らの長子を抹殺するという暴挙に出ます。そこからモーセ物語は始まります。ファラオに憎まれた民族の者が王家の一員として育てられ、同胞の救いのために与えられた特権を放棄し、神の導きを信じて歩みます。モーセの時代はキリストはまだ登場しませんが、エジプトの富の特権よりもキリストのゆえに受けるあざけりの方が大事だと言うのです。
著者はその時代の人々への慰めと励ましを語ります。偉大な先達モーセを導いた神が私たちを導いておられる。現況に負けないで信仰によって歩もうと。信仰を全うしようと。キリストを信じる者に与えられる特権があるのです。私たちには何にも勝る報いがある。信じる者に与えられる罪の赦しと救いの実現という特権が。どのような状況の中でも弱らず、困難を乗り越えて行くことのできる知恵と勇気が与えられます。何を、誰を信じて歩むのか、私たちはただキリストだけを信じて歩むのです。主は必ず必要なものを備えてくださいます。キリスト・イエスを信じて、与えられる報いを信じて主と共に信仰の道を全うするのです。
(2014年2月23日礼拝説教より)