「信仰によって命を確保する」
更新日:2014.2.10
ヘブライ人への手紙10章19−39節(新P413)
牧師:米倉 美佐男
「あなたがたは、光に照らされた後、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを思い出してください。」 (10章32節)
旧約聖書の時代からユダヤ人たちの世界では大祭司によらなければ聖所に入ることは許されませんでした。しかし、イエス・キリストが与えられてからは主イエスをキリストと信じる者はだれもはばかることなく天の聖所に入ることができるのです。せっかく与えられたその特権を失わないようにしなさい。確信をもってキリストに近づき、キリスト者としての信仰告白を堅持し、礼拝を欠かすことなく献げ、互いに励まし合いなさいと勧めるのです。
主イエスの血によって聖所に入れることを確信し、信頼して神に近づく、ここで著者が何よりも伝えたいことは、主に信頼して、イエス・キリストを信じて、神に近づくことなのです。言い方を変えれば、神の側から近づいてくださっていることを忘れてはならない、という警告です。今、目の前にある困難によって、そこから、足を踏み外しかけている、危うい状況があるから警告し、励ましているのです。すでに4章16節で大胆に神に近づこうと呼びかけていた通りです。
著者はさらに申します。「故意に罪を犯し続けてはなりません」(26節)。自分の意志に固執して、思い通りにしようとして、キリストから離れてはならないのです。キリストとの関係を切ることは唯一の救いの道を放棄することです。洗礼を受けた後に犯す罪は言い逃れすることはできません。ただ現実には過ちを犯します。その時に悔い改めて、主に立ち返るのです。神の民であることを知りながら御手に委ねることをせず、悔い改めを軽んじるならば裁きを逃れる術はありません。残された道は最後まで信仰によって生かされることです。信仰によって命を確保するのです。
(2014年2月2日礼拝説教より)