札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「光あれ」

更新日:2014.1.14

創世記1章1-31節(新P1)

牧師:米倉 美佐男

「神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。」 (3−4節)
今年は札幌教会は創立125年の年です。1年の初めのメッセージを聖書の一番最初の箇所から聞きます。初めの言葉はまさに「初めに」(べレシート・ヒブル語)と語り出されます。神の業としての創造は天地の創造から始まりました。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。創世記の創造記事はこの地上世界がどのようにできたのかを知らせるというより、この現実世界は混沌とした世界、混乱の中にある秩序の無い、カオス、闇だと言い、そのカオスの世界に神は「光あれ。」と命じられ、コスモス、秩序が立てられたと言うのです。

今日の時代状況もカオスの時代です。ますます世界は混沌としてきます。いたずらに不安を煽るつもりはありませんが、私たちを取り巻く状況は先行き不安な世界です。旧約聖書はそのような中で神の言葉として語られてきました。呪いの状況の中で祝福を語ります。世界の混沌は東も西も闇は深く暗さはさらに増して行くでしょう。すべてが崩壊して行くような状況の中で、暴風が荒れ狂うような荒涼とした世界があり、そこに、神は「光あれ」と命じられ、光があったのです。昼と夜を分ける時としての光、秩序としての光です。

光も闇もみな仲良くしてというのでなく、光は光、闇は闇と、分けること、互いの違いを違いとして認めて初めて混沌に秩序が与えられるのです。どのような世界でも神は見捨てられません。光あれと光を実現してくださる神のおられるのだという信仰がここにあるのです。必要なら神は備えてくださいます。必要のないものは備えられないのです。神が良しとされ、呼ばれた、名づけられたのです。それは神の支配が確かにあることを示します。神の祝福の言葉で始まり、神が良しとされた世界、崩壊状況に回復の約束が与えられました。創造の言葉をもって救いを、救いの確かさを約束されているのです。

(2014年1月5日礼拝説教より)

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