「彼を礼拝せよ」
更新日:2013.7.29
ヘブライ人への手紙1章5-14節(新P401)
牧師:米倉 美佐男
「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ。」(1章6節)
挨拶に続いて本論が始まります。御子は天使に優るとの確信が告げられます。それを聖書によって証言するのです。引用している聖書は旧約聖書からのもので、鉤括弧の部分がそうです。主に詩編からのものです。一例を挙げると5節は詩編の2章7節からです。御子以外にたとえ天使でも、父なる神は「あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ」とは言われませんでした。もともと王の即位式の詩編です。それを御子についての証言としたのです。
6節の「彼を礼拝せよ」という引用は詩編89・28と申命記32・43からです。13節は詩編110冒頭からと言われます。最初の「あなたは私の子」と同じく王の即位にかかわる詩として読まれますが、メシア預言として受け止めています。「右の座に座っていなさい」はメシアに対するもので、主イエスに向けて語られたと告白しているのです。昔の聖徒たちはなぜこのように証言したのでしょうか。イエス・キリストはこういうお方なのだということを丁寧に言わなければならないほど、イエス・キリストが分からなくなっていた信仰者たちが多くいたからです。
昔も今も信仰は血を流すほどの戦いなのだという緊張感は、他人事でなく自分がどうであるのかという問題なのです。間違いなく主イエスはキリストです。たとえ天と地がひっくり返ったとしても唯一の真の神なのです。せっかく信仰を与えられながら、自分にとって好ましくない状況が起きた時、信仰を持ったがゆえに命の危険を感じたり、信じたのに自分の思い通りにならず焦ったり、ご利益がないなら信じている意味がない、それで、はいさようなら、これは冗談ではありません。著者は命をかけて証しするのです。わたしたちも全存在をかけて御子を礼拝するのです。熱くも冷たくもない信仰でなく、喜びの油を注がれた主を信じて生かされるのです。
(2013年7月21日礼拝説教より)