「だれを捜しているのか」
更新日:2013.5.27
ヨハネによる福音書20章11-18節(新P209)
牧師:米倉 美佐男
今朝はペンテコステ礼拝です。使徒言行録の第2章にエルサレムに集まったペトロを中心とした120人ほどの人々の群れに聖霊が降った出来事が記されています。聖霊降臨日です。その時の体験は信じる者にとって大きな驚きとして語り継がれています。復活の主は40日間に渡って使徒たちに現れました。神の国について話された後、彼らに聖霊を授け地の果てまでキリストの証人となるように伝えて昇天されたのです。
マグダラのマリアは墓の外に立って泣いていました。悲しくてしかたありません。身をかがめて墓の中を見ると、主のご遺体はなく、二人の天使がいました。天使はマリアに「なぜ、泣いているのか」と聞きます。彼女は「わたしの主がどこに置かれたか、分かりません」と答えます。後ろを振り向くと、イエスが立っておられます。でも涙に曇った目にはそれがイエスだとは分かりません。イエスもマリアに「なぜ泣いてるのか。だれを捜しているのか。」と聞かれました。マリアはまだ気付かきません。
人間の常識ではイエスがよみがえられて今ここにいるという思いは浮かびません。しかし「マリア」と主が呼ばれた途端それは崩されます。名前を呼ばれた瞬間、「ラボニ」(先生)と答えています。わざわざへブル(アラム)語で記すのは大事な事だからです。ここで、イエスの生前、彼女たちが親しく生活していた時の状態が回復したのです。復活の出来事は弟子たちや親しい者たちの間でも最初から分かっていたわけではなく、弟子たちや親しい者でさえ、だれかが主を隠してしまったとがっかりしていたのです。その時に羊飼いが羊の名を呼ぶように呼んでくださった。そこからすべてのことが回復したのです。聖霊の働きによって私たちは主イエスの救いの確かさを宣べ伝え続けるのです。喜びと感謝をもって。
(2013年5月19日礼拝説教より)