「真理とは何か」
更新日:2013.4.1
ヨハネによる福音書18章28-40節(新P205)
牧師:米倉 美佐男
受難週に入りました。本日はパームサンデー(棕櫚の主日)です。主はロバの子に乗ってエルサレムに入城されます。その時、人々は棕櫚の枝や、衣服を道に敷き、ホサナ、ホサナ(主よ救いたまえ)と歓呼の声を上げて主を迎えました。今朝の記事は木曜日の出来事、裁判の場面です。夕刻から深夜にかけてのことでした。主イエスはカヤファのところから総督ピラトの官邸へと連行されました。時は夜明けです。ローマ時間で4時、今の時間の3時から6時に当たります。
ピラトはイエスの罪を見出せずユダヤ人たちに「あなたたちが自分たちの律法に従って裁け」言って責任を取ることを拒みます。しかし、人を死刑にする権限がないと食い下がるユダヤ人側の勢いを止めることができませんでした。そこで彼はイエスのところに行って、「お前がユダヤ人の王なのか」と聞くのです。「お前はいったい何をしたのか」と。イエスが「わたしの国はこの世には属していない」と言うと「それでは、やはり王なのか」と言いました。イエスは「王というのはあなたが言っていることで、わたしが言ったのはただ真理について証しをするために世に生まれたのだ。」と言いました。
ピラトが問うた「真理とは何か」ですが、非常に含みのある言葉です。ピラトは再びユダヤ人のところに行き、イエスの無罪性を伝えます。ユダヤ人たちは聞く耳を持ちません。ピラトもせっかくイエスの無罪性を言いながら、惜しいことに真理を正しく受け入れることはできませんでした。ヨハネはここで「真理」が何であるかを示しています。それは私たちのために主が十字架に架かってくださったことです。十字架に命を捨てることによって主は私たちを罪から救ってくださいました。それが真理です。ご自身が死をもって示してくださった真理の姿がここにあるのです。
(2013年3月24日礼拝説教より)