「キリストを着る」
更新日:2012.12.17
ローマの信徒への手紙13章11-14節(新P293)
牧師:米倉 美佐男
「主イエス・キリストを身にまといなさい。」(14節)。
アドベント(待降節)の第2週に入りました。時を知って、確かな備えを致しましょう。アドベントの時は御子イエス・キリストの誕生をいにしえの人々が待ち望んだメシアの到来を、私たちも同じ思いを持って待つのですが、それと同時に再臨の主を待つ時としてすごすことを、キリストの教会は覚えてきました。「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。」(11節)。今がどのような時か。教会に集う者たちが眠りから覚めるべき時、信仰に入れられた時より、もっと救いが近づいている時、夜は更け、日は近づいている、すなわち闇夜の世界からもうじき東の空が明け始め、光がまもなく到来する時だと言うのです。
先に互いに愛し合う生活こそ信仰者の生き方だと示し、12章の始めに神に献げる生活、礼拝者として生かされる生き方が示されました。何より大事なのは神のみこころ、御旨を求め、神の喜ばれる生き方をすべきであること、互いに、祈り合って行きることが勧められました。それが今の時を知るものの姿、生き様であるのです。闇の行いを脱ぎ捨て、光の武具を身に付け、品位を持って歩もう。この世的な酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、肉的な欲望に負け、うつつをぬかすことなく、ただ、主イエス・キリストを身にまといなさい。キリストを着なさいというのです。欲望に支配されて肉のことつまり本能的に生きるのでなく、信仰的に生きよと言うのです。信仰を与えられる前の生き方に逆戻りしないようにと。
今と違って真剣にこの世が終わってキリストの再臨があるという思いが強くあった時代の中で語られています。明日もう終りの時が来る。そうであるなら、おもしろおかしく自分の思い通りに、好き勝手に行きたいとうそぶく人たちもいたのです。そのような体たらくな、自暴自棄になった生き方でなく、時がせまっていることを感じるなら、実際迫っていることを思って、備えをしなさいと言うのです。その備えとは主イエスを着る、すなわち主イエスを信じて洗礼を受けることです。すでに洗礼を受けた者も受けたことに安住することなく、キリストに結ばれたその事実にしっかりと目覚めることが大事なのです。キリストを着続ける、キリストに結ばれ続けることが私たちをあらゆる悪の誘惑から守ってくれるからです。
「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」(ガラテヤ3・27)。
(2012年12月9日礼拝説教より)