「互いに愛し合いなさい」
更新日:2012.10.15
ヨハネによる福音書13章21-38節
牧師:米倉 美佐男
「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(34節)。
主イエスが弟子たちに対しこれだけは言い残しておかなければという切実な思いで語られたお言葉です。その前にこう語られています。「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」。それを聞かされた弟子たちは心穏やかではありません。互いに顔を見合わせて戸惑います。ペトロがイエスの隣にいる主の愛しておられた者に合図して、「それはだれか?」と問わせます。主は「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられました。そして、パン切れを浸してユダに与えました。その時サタンがユダの中に入りました。「しようとしていることを、今すぐしなさい。」と主は言われました。周囲の者はだれもそのことの意味が分かりませんでした。ユダはパンを受けるとすぐ出て行きます。時は夜でした。
13章31節以下16章までは長い主イエスの最後の説教です。31節から38節はその序の部分です。ここに主が弟子たちに残したい思いが告げられています。父なる神がみ子イエスに栄光を授けた。主が受けた栄光とは十字架です。十字架におかかりになることによって神のわざが明らかになります。神の愛がそこで明らかにされることによって父なる神は栄光をお受けになる。それはイエスが父なる神のみもとに帰られる昇天を意味します。主は今しばらくは一緒にいることができるがもうじきご自分はいなくなる時が来ると言われました。十字架の時が来る。そして次のことを告げます。「互いに愛し合いなさい」という新しい戒めです。弟子の足を洗われた主が互いに足を洗い合いなさいと言われたことの意味がここにあります。
そのすぐ後にペトロが鶏が鳴くまでに3度主を知らないという話が記され、ペトロは「主のためなら命をすてる」といいます。ペトロは早とちりをして自分の思いを優先させました。彼は悪気があったわけではなく善意から言ったのです。しかし、どんなに善意からであっても、順番を間違えてはいけないのです。今はついてくることができない。なぜなのか。イエスの贖い、主の十字架の死がとげられなければペトロも私たちも何もできないのです。主が私たちのために命を犠牲にしてくださり、主が足を洗ってくださり、罪から清めて下さり、真の愛を与えて下さったが故に私たちは生まれ変わることができるのです。
(2012年10月7日礼拝説教より)