「わたしの民が大勢いる」
更新日:2012.9.18
使徒言行録18章1-11節
厚別教会牧師:持田 行人
伝道の生活では、未知の人、事柄との新しい出会いが多く起こります。パウロの三回に渉る伝道旅行。とりわけ、第二伝道旅行では、特筆すべきことが起こりました。福音宣教は、ローマ帝国の辺境・エルサレムから始まり、帝国の中枢・ローマに至ります。その時の事情が、使徒16:6-10に記されています。アジアで語ることを聖霊に禁じられ、トロアスに導かれました。ここはエーゲ海北部の町、アジアのうち、最もヨーロッパに近い所。エーゲ海を北上するとダーダネルス海峡、その北側がマルマラ海、黒海への出入り口がボルボラス海峡、その南部で西に大きく広がるのはイスタンブール市街(旧名コンスタンチノポリス)。この場所・地域こそローマ帝国時代から、アジア州とヨーロッパを隔てる所でした。
ここで、マケドニア人の若者が立って「マケドニア州に渡って来て、助けてください」とパウロに願いました(使徒16)。彼は、これを神の招きと確信してマケドニアに渡ります。当時、ギリシャは、帝国のアカヤ州、その北がマケドニア州、州都はフィリピでした。キリストの福音はアジアからヨーロッパに至りました。パウロの第二回伝道は、ヨーロッパに渡りフィリピ、テサロニケ、ペレアでなされますが、反パウロのユダヤ人による執拗な攻撃を受けます。アテネでは、有名なアレオパゴスの演説を行いました。そこからコリントに行きます。ヨーロッパはパウロにとって異教徒の土地、穢れた土地、本当は、そんな所には行きたくない所でした。そこで福音を語るなんて、あり得ない。
パウロにとって、異教徒の地は、恐れるべきものです。穢れに満ち、律法が禁じているものが、至る所に見られます。言葉を交わすことも出来ないほど、息が出来ないように感じられる所であったろうと考えます。その上、同胞、兄弟であるユダヤ人たちが反パウロ戦線を組み、攻撃してきます。知らない土地で、孤立した戦いをせざるを得ません。実に恐ろしい所です。そんな所にパウロは送り込まれました。その時パウロに与えられた言葉が「恐れるな。語り続けよ、黙っているな。私があなたと共にいる・・・この町には私の民が大勢いる。」。恐れるな、と言うのは、恐れているという現実があるからです。ルカ1:13、30、2:10、5:10、マタイ1:20参照。主は、私がいつも共にいる、と言って下さいます。マタイ28:20の言葉と同じです。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」悲しい時、苦しい時、見捨てられたと感じる時、主は共にいて下さいます。
(2012年9月9日礼拝説教より)