「彼らに信じさせるために」
更新日:2012.7.29
ヨハネによる福音書11章38-57節
牧師:米倉 美佐男
イエスを救い主と信じる私たちにとっては当たり前のことでも、信じない者にとってはイエスの存在は大きなじゃまでありました。その存在が自分たちの築いてきた地位を危うくすると思ったからです。死んだラザロを蘇らせたことがきっかけになって、イエスの命をねらう動きが始まります。
イエスがラザロの葬られている墓に来られた時、墓は洞穴で、石でふさがれていました。「その石を取りのけなさい。」とイエスが言われると、死んだラザロの姉妹マルタが」、「主よ、四日もたっていますからもうにおいます。」マルタはラザロが死んでもう四日もたっています。
それはラザロが完全に死んでいるという状況を示しています。
「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか。」主イエスは天を仰いで祈ります。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。・・あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」そのように言われた後、「ラザロ、出てきなさい。」と大声で叫ばれた。すると死んでいたラザロが手と足を布で巻かれたまま出てきます。
顔は覆いで包まれていた。イエスは、「ほどいてやって、行かせなさい」と人々に言われた。実に驚くべきことが、不思議な仕方で行われてしまいます。「信じるなら、神の栄光を見る」のです。イエスを信じる者はいつまでも死なない。信じるなら神の栄光を見る。あなたはそれを信じるか。イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちはイエスを信じました。しかし、信じることのできない者たちもおり、彼らがファリサイのところに行って、イエスのしたことを告げたのです。ユダヤ人指導者たちはイエスの存在に危機感を覚え、議会を招集し慌てて対策を考えました。その年の大祭司カイアファは「あなたがたは何もわかっていない。」イエス一人が死ぬことがみんなにとって、私たちにとって好都合だということを。けれども実は何も分かっていないのは力イアファ自身でした。いずれにしろその時から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだのです。
イエスはもはや公然とユダヤ人たちの間を歩くことはせず、荒れ野に近いエフライムという町で弟子たちと滞在されます。過越祭が近づきますと、イエスが来るか来ないかが話題にのぼりました。来るか来ないかはどうでも良い「ラザロよ、出てきなさい」と大声で叫ばれた主の呼びかけは死んだ者に命を与える叫びです。
死で終わる世界が神の言葉によって命が与えられるのです。絶望から希望へ、主のこの言葉に命があるのです。
(2012年7月29日礼拝説教より)