札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「今は見える」

更新日:2012.5.20

ヨハネによる福音書9章13-34節

牧師:米倉 美佐男

生まれつき目の見えない人の目を主イエスが見えるようにしてくださいました。シロアムの池での出来事です。
そのことを通して起こった事柄が記されます。まず第1にその出来事があった日は安息日でした。ファリサイ派を中心とした主イエスを好まない人々はまずそこにクレームをつけます。安息日規定違反、そのような違反者は神のもとからきた者ではないと言うのです。しかし、この出来事は敵対者たちの間でも意見の相違を生みました。罪人ならばこんな素晴らしいことができるだろうかと。

敵対者たちは事柄を打開するために何とかしようとあの手この手で事態の収拾を計ろうとしました。見えるようになった本人に「お前はあの人をどう思うのか」と聞きます。男は「あの方は預言者です」と答えました。それはファリサイの見解に真っ向から反対する意見でした。次にユダヤ人たちは彼の両親から言質を取ろうとしますが、両親は、危険を感じて上手に回避します。息子はもう子どもではないから本人に聞いて欲しいと。

埒があかないユダヤ人たちはもう1度男に問います。「正直に答えなさい。あいつは罪人だぞ」。もう脅しです。しかし、彼は立派です。彼らのおどしには屈しません。「あの方が罪人か、わたしには分からない。でも、事実は今わたしは見えます。」、見えなかった私が今は見える。彼の主体をかけた証言です。私の目を癒してくれたあの人は神のもとから来られた方に違いありません、との叫びは、彼の内面の喜びと感謝の証しです。それが伝道です。聖書の知識の大切さは否定しませんがいくら聖書の知識があっても正しく神のみ旨を求めないならば宝の持ち腐れです。
見えなかった者が見えるようにしていただいたことが重要です。伝道とは受けた恵みを、恐れず語り続けることです。キリストに捕らえられ、キリストに出会って生き生きと生かされている恵みを語り伝えて参りましょう。

(2012年5月20日礼拝説教より)

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