「わたしは知っている」
更新日:2012.5.6
ヨハネによる福音書8章48-59節
牧師:米倉 美佐男
「いったいあなたは自分を何者だと思っているのか。」(53節)
主イエスは「わたしの言葉にとどまりなさい。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」と言われました。ユダヤ人たちは、イエスから神に属していないと言われた腹いせでしょう、「あなたはサマリヤ人で、悪霊に取りつかれているのではないか」とののしります。主は言われます。「わたしの言葉を守るなら、人は決して死ぬことがない。」。
ユダヤ人たちが、イエスをサマリヤ人と言うのは、お前はユダヤ人として本流ではないと言っているのです。異端的だと。まだ50歳にもなっていないくせに、30歳そこらで、経験も足りない若僧が何を偉そうに言うか。お前は父アブラハムより偉いのか。みなイエスを軽視しての発言です。主イエスの存在を受け入れようとしないのです。主の存在が自分たちの地位を危うくさせるという脅威を感じていたのです。
「あなたたちはその方を知らないが、わたしは知っている。」(55節)。イエスは神の子です。主をキリストと信じるならば、肉体的には滅びても神の御許に帰る喜びと感謝をもって歩むことができるのです。信仰的な聞き方、物の見方があるのです。「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」。「はっきり言っておく、アブラハムの生まれる前から、「わたしはある。」アブラハムより先に私は「あってあるもの」神であった。わたしたちの告白は「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない」(へブル13・8)です。主が与えてくださった約束を信じて歩みましょう。恵みと希望と喜びがそこにあるのです。
(2012年5月6日礼拝説教より)