「恵みの業の中に」
更新日:2012.4.15
コリントの信徒への手紙二 4章7-15節
牧師:榮 英彦
先週イースターを迎え、共に礼拝をささげました。でも私達は本当に主の復活されたことを信じて生きているでしょうか。
最初にイエス様の復活を経験した婦人達の記事がマルコ福音書16章にありますが、「婦人達は墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである」と記されています。復活をすぐ信じることは、彼女たちにもできませんでした。
イエス様を信じたパウロはその手紙の中で、自分が受け継いだ「最も大切なこと」として「主の十字架と復活」をあげています。
私達の生活の中で復活がどうとらえられているでしょうか。パウロは信仰に生きるものの姿を「この宝を土の器に納めている」(コリント二、4章7節)と言います。私達は弱いつたない土の器であるが宝をもっているのです。
私達は矛盾した姿で世につかわされている、弱い無価値な私達であるが、その私達のうちに、働く神の言葉をもっている、この世の価値観で他と接するのでなく、神の言葉を語る。この世の力が大きな力で私達を覆っている、しかし主は復活の姿で共にいて下さるのです。
自分には解らないが、イエス様は復活された。人間は死で終わるのでなく、復活された主は、ふさわしくないけれど、私達を恵みの中において下さった。神の愛によってあなたは神の言葉を語りなさい、と選んでくださったのです。
この世の価値観をもって生きて来たパウロが、主にとらえられた後、主イエスの言葉に生きて御言葉を伝えました。
私達も新しく生きよう。主イエスは私を選びあなたを選び用いて下さるのです。
(2012年4月15日礼拝説教より)