「わたしたちは知っている」
更新日:2012.3.18
コリントの信徒への手紙二 1章3-7節
牧師:榮 英彦
復活日を前に私達は備えられた生活の日々を救われた者に相応しく過ごしたいと祈り・求めつつ歩んでいます。信仰者の歩みは主の前に平安であると信じつつ、襲いくる苦難との戦いの日々であることを認めざるを得ません。その矛盾を担いながら一つの姿勢を提示することをお許しいただきたいと思います。
神学校を卒業しての最初の任地は奄美大島でした。多くの方々が心して下さってお祈りと共に物質的にも支えて下さいました。そんな時期に東北地方に自らの手で教会を建立するという形での伝道を展開すると言う方式での歩みが進められたことがあります。それに従事した友は誠実に・懸命に働きました。そして、若い信仰者たちの祈りの結晶である教会はできました。それと共に疲労困憊の状態にあった牧師夫妻の許に備えられた幼子は障害を背負っていました。何と言って彼を慰め・励ましたらよいのでしょうか。いくばくかの時を経てから見舞いに伺ったおりにも語るべき言葉を見出せませんでした。ところが後に彼が呟いてくれました。何も言わないで見舞ってくれたあのお見舞いが一番嬉しかった、と。
信仰生活を阻もうとする力は常に働いています。その不条理な戦いの中にあって神様は常に恵みの御手をもって信じる者を守っていてくださると、見えない神様を信頼して歩むのが信仰者の姿勢です。神様は黙って側に立って支えていて下さるのです。「あなたが立ってくれるなら、私も立つことができる!」と記されています。そして主は『私の許にきなさい!』と両手を広げて立っておられるのです。
(2012年3月18日礼拝説教より)