札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「メシア」

更新日:2012.3.11

ヨハネによる福音書7章40-52節

牧師:米倉 美佐男

昨年同月同日午後2時46分に起こった東日本大震災で被害に会った方々の一日も早い復興を覚えて祈ります。今でも34万人以上が全都道府県に散って避難生活をしています。被災地のことを忘れずに祈りとわたしたちにできることを継続して果たして行きましょう。

イエスはメシアかという問題がここにあります。イエスがキリストであるとの信仰は私たちにとっては当たり前のことです。しかし、この問題は教会の最初の時代からあった問題です。教会内部でもイエスがキリストであるという信仰は教会の作りだしたものであり、イエスは人間であり、神ではない、メシアではないと論じる学者もいます。

ヨハネはこの40節以下のところで、二つの枠の中でイエスについての激しいやりとりがあったことを伝えています。前半で仮庵の祭りに来た巡礼者たち、群衆の間で起こったメシア論争、後半の45節以下でユダヤ教の指導者層の間でのイエスをめぐっての祭司長、ファリサイ派の否定派、ニコデモのような肯定派もいたのです。

肯定派はしるしを見て、話を聞いて、その存在が約束されたメシアだと感じた人々、否定派は何があってもイエスの存在を認めることができない人々、その理由は自分たちの存在が危うくなるとの危機感でありました。メシアがガリラヤから出るか否かは問題ではなく、イエスの評判が気に食わないのです。だから事実関係などどうでもよかったのです。ニコデモはそのことを指摘し、聖書に正しく聞けと言うのです。神の霊によって語る者はだれもイエスは呪われよとは言いません。イエスが主であると告白できるのは聖霊の働きです。聖霊を受けた者だけがイエスはメシアであると告白できるのです。「私は信じた、それゆえに語るのです。」(2コリ4・13)。メシアを信じることのできる幸いは信じた者のみが味わえる喜びであり感謝です。

(2012年3月11日礼拝説教より)

前のページに戻る