札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「わたしの時」

更新日:2012.2.5

ヨハネによる福音書7章1-13節

牧師:米倉 美佐男

「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつでも備えられている。」(6節)。

今朝の記事はガリラヤでの出来事です。ガリラヤは主イエスのホームグランドです。イエスと兄弟たちとの間に起こった出来事がここに記されています。兄弟たちも決してイエスの良い理解者ではありませんでした。彼らはイエスを信じず、世間体を気にしてイエスの活動を快く思っていなかったのです。

兄弟たちはイエスに地元でなく、ユダヤ、エルサレムに行ってあなたの活動をして欲しいと言いました。その時言われたイエスの言葉が「わたしの時はまだきていない。」でした。それは今はまだ何かをすべきチャンスではない、と言うことです。そのチャンスとは十字架のことです。ただそれは主イエス以外、まだ誰も知らないことでした。
それに対し、あなたがたの時はいつでも備えられている。その意味は、兄弟たちが前に言った言葉に返す形で、あなたがたの時は私の時とは違う。あなたがたは、チャンスを生かすような生き方をしていないと言われたのです。世が脅威に感じているのは私の存在だと言われたのです。

時(チャンス)を生かすことのできる生き方は私たちを生き生きと生かします。信仰もまた然りです。主はそのチャンスを確実に実行するために、行かないと言っていたエルサレムに秘かに行かれたのです。人目を避け、隠れるようにして祭りに行かれます。ユダヤ人たちはイエスを探しあの男はどこにいるのか」と言ってイエスの居場所を探り、亡き者にしようと虎視眈々と狙っていました。

昔も今も大事なことは世に迎合して、この世の常識に埋もれることなく、主の十字架に従って生きることです。世から憎まれるほどの生き方もしないで、自分の都合で主に従うことはできません。主の十字架を共に負う者として、主に喜ばれる生き方を求めましょう。

(2012年2月5日礼拝説教より)

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