札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「来るべき方」

更新日:2011.11.27

マタイによる福音書11章2-14節

牧師:米倉 美佐男

「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」(3節)。
本日からアドベント(待降節)に入ります。来るべき方を備えをして待ちましょう。バプテスマのヨハネは主の道を備えるためにその務めを果たしてきました。あなたが期待のお方なのか、それがヨハネの問いでした。主イエスのお答えは「行って見聞きしていることを伝えなさい」です。
「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」それはメシヤのしるしです。「わたしにつまずかない人は幸いである。」とも言われました。ヨハネの弟子たちがヨハネに報告するために帰った後に、主イエスがヨハネに対して述べた賛辞はなみなみならぬヨハネに対する熱い思いでありました。彼こそ本当の預言者だ。預言者以上の存在だ。すべての預言者と律法が預言したのはヨハネの時まで。即ち彼はメシヤの到来を告げるために来たのだ。彼は私を証しするために来たのだと。
御子の誕生は飼い葉桶の中です。その一生は十字架です。そして、そこにこそ、確かな救いがあるのです。主を見て自らの歩みを悔い改める事の出来る者にはまことの救いが与えられます。どのような状況の中でも来るべき方はあなたなのかと問う事ができ、そして、あなたなのかと問うていた者が、あなたこそ来るべきお方です、と告白し得る者へと変えられるのです。クリスマスはへりくだりの出来事です。飼い葉桶と十字架の中に、真の救いを見い出しましょう。ヨハネは獄中の中で見るべきものを見、知るべき事を知りました。彼は信じることができたからです。思い通りの答や、納得する答えが返ってきたから信じたのではないのです。今、ここにある救いを見い出すことができたので信じ、救われたのです。

(2011年11月27日礼拝説教より)

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