札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「イエスについて証しをする」

更新日:2011.10.9

ヨハネによる福音書5章31-47節

牧師:米倉 美佐男

「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」(39節)与えられたこの箇所に二つの大事なことが示されています。「イエス・キリストの証」についてと「イエス・キリストを証するのが聖書」だという二点です。

31節以下には「証」という語が何度も出きます。証(マルチュレオー)は命をかけて証言するという意味です。主が言っておられるのはわたし(イエス)について証しするのは父なる神です。バプテスマのヨハネも証言しましたが父なる神の証しにまさるものではないと言っています。父なる神の証こそが確かな証だと。あなたがたは父のみ心を信じていないから私のことを受け入れる事ができないのだと言うのです。「あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書は私に着いて証しをするものだ。」(38-39節)。

聖書は拝むものではありません。聖書自体は目的ではないのです。イエスをキリストであると証するから聖なる書なのです。聖書は正しく読めばよいのです。聖書はイエス・キリストに私たちを正しく導くための手段です。聖書の中に永遠の命があるわけでありません。自分の思いこみで聖書を調べたり、研究する時に大きな間違いが起こります。どんなに熱心に聖書を調べ、勉強し、研究してもその学びが少しもキリストを証ししないような、また信仰が深まらない学びでは意味がないのです。着目すべきは聖書の中に命があるという誤解です。永遠の命なるイエス・キリストを正しく指し示す書として聖書を読みましょう。
イエスをキリストと証しする書としてみ言葉を信じる時、私たちは永遠の命に触れることができるのです。

(2011年10月9日礼拝説教より)

前のページに戻る