「死から命へと移る」
更新日:2011.10.2
ヨハネによる福音書5章19-30節
牧師:米倉 美佐男
「わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」
主イエスは、安息日にエルサレムの羊の門の傍らにあるベトザダの池で、病人を癒さました。その後ユダヤ教指導者たちと主イエスの間で安息日をめぐって論争が起き、ユダヤ人たちはイエスを殺そうとします。イエスを律法規定の違反者、さらに主が自分自身を神と等しい者とする、神を冒涜する者だと断罪します。
19節で、子(フィオス)は、父のなさることを見なければ自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。30節でも同じ内容で結んでいます。ここでは明らかにイエスと父なる神の一体性が主張されます。そしてみんなが驚くような大きな業が示されます。死者を復活させて命を与えることと裁きの二つです。この二つは共に神の御業です。神の業を父なる神は子であるイエスに託されました。ここで「子」という言葉がたびたび出てきます。ヨハネの中では12回ほど出てきます。この短い箇所に6回も出てきます。それだけ父なる神と子なるイエスの密接な関係があったことを示しているのです。
最後に「生きる」ということについて考えましょう。信仰的意味の「生」です。イエスを信じることが生きる事、信じない事が死んでいることです。救いに至る永遠の命の道を選び取りなさい。それが聖書の教えです。主イエスをまことの救い主として信じるのです。信じない死の状態からキリストのみ声を聞いてみ言葉を信じて生きる者となるのです。ここに死から命へと移される世界があるのです。「過ちと罪のために死んでいた者」(エフェソス2・1)が悔い改めて本心に立ちかえる時に生きる者とされました。父なる神との正しい関係の回復が死からの生還として、生きる者となるのです。キリストを信じ主のみ言葉を聞いて従う者は死から命へ移る救いの中に歩んでいるのです。
(2011年10月2日礼拝説教より)