「あなたは良くなったのだ」
更新日:2011.9.25
ヨハネによる福音書5章1-18節
牧師:米倉 美佐男
主イエスがなされた第3のしるしが記されます。エルサレムの羊の門の傍らにベトザタと呼ばれる池がありました。そこには大勢の病人がいました。目の見えない人、足の不自由な人、体が麻痺して動くことができない重病人たちが横たわっていました。その人々の中に、38年間も病気で苦しんでいる人がいました。その人を見て、主イエスは聞かれます。「良くなりたいのか」と。
その人は答えました。「水が動くとき、池の中に入れてくれる人がいません。ほかの人が先に降りて行ってしまうのです。」それは切実な悲痛な訴えです。良くなりたいのは当たり前、でも誰も助けてくれないという孤独感。その人に主イエスの言葉が与えられます。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床をかついで歩きだした。聖書は言います。38年の間病苦で打ちのめさせられていた一人の人が主イエスに出会って癒されたと。これを信じるか信じないかが信仰の問題です。
大事な点は、イエスが言葉をかけて下さったことです。孤独なこの人の心に届く言葉が与えられました。だれも助けてくれないと半ば諦めムードになり、意欲を失い人生を放棄していた人に主は再び生きる力をお与えくださるのです。惰性でしか生きることのできなくなった者に、あなたが本気で病気を治したいなら「起きなさい」と命じられるのです。主の言葉は神の言葉として人を生かします。「あなたは良くなったのだ」と主の宣言によって人は生かされます。主イエスの言葉の絶対性が人を立ち上がらせるのです。イエスを信じる者は主の言葉に従って歩むのです。私たちは素直に「治りたい」、主にあって今までの生活を変えて頂きたいと願う意欲を持つべきです。
主イエスが本当の救いと永遠の命を与えて下さる安息日の主なのだ、ということを信じて歩みましょう。
(2011年9月25日礼拝説教より)