「目標を目指して」
更新日:2011.8.21
フィリピンの信徒への手紙3章7-14節
牧師:榮 英彦
自分の思いを越えて「説教」の務めを担うことになりました。主と教会との前に、その責務を果たせるかを省みつつ御用に当たりたいと祈っています。
私達は、聖書を読むこと、読み続けることを信仰の基本的要素として捉えています。然し現実の生活はこれを断ち切ろうとする要素に満ちていると言っても良いでしょう。この力との戦いが信仰生活でもあるとも言えます。主イエス様の御手によって抱かれるその時まで戦いは続くとも言えます。
ヨナと言う人のことを示されます。(旧約聖書1445ページ)神様からの言葉を避けて行き先の違う別の船に乗り込み大嵐の中を海に投げ込まれます。そして大きな魚に飲み込まれ自分の姿勢を反省し神様からの言葉に従います。ヨナは言葉の空しさを呟きます。然しヨナの思いを越えて神の愛の広さを彼は覚えざるを得ませんでした。
私達は現実の信仰生活の中で、主イエス・キリストは甦りたもうたのだ!と言う信仰の原点を忘れてはなりません。自分の小さい思いが「信仰の目標」になっていることはないでしょうか。神の御旨によって生かされている自分の命を思い起こし、神様が語られる「わたしの手が短いとでも言うのか」との言葉を心に留め、現実の歩みがどんなであろうとも、(その底に秘められている主イエスの歩みにこそ神の喜ばれる真の道が備えられている)ことを謙虚に思い起こし、そこを目指し、その恵の中にこの私が入れられている喜びに感謝して生きる者でありましょう。
(2011年8月21日礼拝説教より)