「永遠の生命を得る」
更新日:2011.8.7
ヨハネによる福音書3章22-36節
牧師:米倉 美佐男
「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる」(36)。
バプテスマのヨハネの生前最後のキリスト証言です。
ヨハネの弟子たちが先生のヨハネより主イエスの評判が良いことに嫉妬心を抱いてヨハネに訴えた時、ヨハネは言いました。「自分はメシヤではない。自分はあのお方の前に遣わされた者だ。」。ヨハネは主イエスこそがみんなが待ちに待っていた本当のメシヤだと証ししたのです。
31節以下の部分も主イエスが父なる神に遣わされた方であると証しし、地に属する者とは異なり上から来られた方、天から来られた方だと言います。前と違うのは、ただ1点、証しされるが、だれもその証しを受け入れない、と述べていることです。明らかに11節で主イエスが語られたことをここでもう一度確認しているかのようです。真の光を受け入れない現実の中にまことの神の救いが介入して来られたことを告げています。上から来られる方とは本来メシヤを表す言葉です。天から降って来た人の子(13節)、それがイエスであり、キリストだと告白しているのです。
主イエスを神が遣わされたまことのメシヤ、キリストと信じる者は永遠の命を得る。真の救いが与えられます。御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。すなわち、救いに預かることはできないのです。「神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。
神が霊を限りなくお与えになるからである。御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。」(34-35節)。
聖霊が限りなく与えられているがゆえに語られる神の言葉は、神についての言葉ではなく、神の言そのものです。
多くの証言者と同じように教会が命をかけて証してきた信仰を受け継ぎ、永遠の生命を得て生かされる喜びを世に伝えて行きましょう。
(2011年8月7日礼拝説教より)