札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「アダムとエバ」

更新日:2011.7.17

創世記3章1-24節

牧師:米倉 美佐男

「園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない。触れても行けない。死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」(3節)。
主なる神は人を神の権威によってその権能を担う者として立てられました。そして人=男にふさわしい助ける者(パートナー)として女を与えてくださいました。

「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いは蛇であった。」(1節)。その蛇が巧みに人を誘惑します。実にソフトに。誘惑は女(エバ)に迫ります。「本当に神様は食べてはいけないなどと言ったのか」、「それを食べると、目が開け、神のようになるからだ」と言うのです。誘いに負けて女は食べてしまいます。女はさらに一緒にいた(アダム)にも食べさせます。目が開けた二人は自らの裸を恥じるようになります。主なる神の「どこにいるのか」の問いに対しても、「ここにいます。」と答えず、「恐ろしくて隠れました。」と情けない言い訳をしています。さらに悪いのは、自分の過ちを認めずに、互いに責任のなすり合いを始めます。それはあたかも責任は創造主である神様にあるとでも言わんばかりです。

人間はなかなか自分の間違いを認めようとしません。それは結局罪を認めようとしないことです。罪を認めないことは不信仰の問題です。神の言葉を知っていながら正しく聞かないで、自分の都合のよいように解釈するのです。このような弱さ脆さを持った人間に与えられたペナルティーは園からの追放でした。しかし、それも神の深い憐れみと愛のしるしです。本当に手を伸ばして求めなければならないものが何であるのかを、この箇所は教えてくれます。追い出されることによって、楽園を追い出されたがゆえに見えてくるのは信仰によってしか真の救いは回復し得ないという事です。知りましょう、人が悔い改めて戻ることを神は期待して待っておられるのです。

(2011年7月17日礼拝説教より)

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