「危険な航海」
更新日:2011.4.10
使徒言行録27章1-12節
牧師:米倉 美佐男
7章から、パウロのローマ行きがいよいよ現実のものとなります。人間的な企てを一切排除するかのように、ローマへの道が開かれて行きます。それはパウロの願いであり、同時に神のご計画であったことを聖書は示しています。人の思いではなく、人の思いに先立つ神のみ旨が重要です。
ここから最後の章(28章16節)までの長い部分は旅の記事です。主イエス・キリストを伝える伝道旅行です。パウロによる伝道キャラバンと言ってもよいでしょう。三つの伝道旅行に加え、最後のローマに至る海の旅が記されます。古代からキリスト教伝道は旅でした。それが教会のたどるべき道でした。教会は古来から船に譬えられてきました。ノアの箱舟のように主なる神によって招かれ、選び出された者たちが福音を携えて、広い海原を進んで行くのです。時には遭難しそうになりながら、波間を漂いながら、主が行けと命じられた所に向かって進み続けるのです。
ローマへの道のりは遠く容易ではありません。この時もすでに航海のできる季節ではなくなってしまいました。無理をすれば危険です。やむなく航海に適した時期まで出発を延期したのです。パウロはこの旅について彼の意見を百卒長に伝えました。少なくとも三度は難船の経験をしていますので。しかし、百卒長は船長、船主の意見を聞き、一介の囚人の言う事には耳を傾けないのです。ただこの書の著者の伝えたいことはだれの意見を聞くかということは、結局何を信じるかということなのだと言うことを。大切なことは人間の常識ではなく神のみ声を聞くことです。これを信じて歩めば間違いないという福音を教会は世に向けて宣言していく責任があるのです。私たちの人生行路を先導して下さる主イエス・キリストの導きが教会にあるのですから。
(2011年4月10日礼拝説教より)